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東京地方裁判所 昭和37年(タ)44号 判決 1964年5月30日

原告 池田強

被告 大倉花子

主文

原告と池田よし子とを離婚する。

原告と池田よし子との間の長男太郎、二男次郎の親権者を原告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一申立

(一)  原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

(二)  被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二主張

(原告の請求原因)

(一)  原告は昭和二五年二月二二日池田よし子と事実上の婚姻して東京都世田谷区富田町において同棲し、同年一二月四日婚姻の届出をし、両名の間に同年一二月二日長男太郎、昭和三〇年三月一七日二男次郎が出生した。

(二)  よし子は昭和二六年四月頃から発作的にヒステリー症を起し時折近隣の人達と口論などし、交際に円滑を欠く事態が発生したが、昭和二八年五月頃から時折幻聴があつたなどと口走るようになり昭和三〇年三月二男次郎を分娩した後、精神異常がこうじ、原告や長男太郎に粗暴な振舞をし、或は近隣の人達の誰彼と区別なく罵詈雑言するなどの行為をくり返し、昭和三一年二月二〇日東京都世田谷区烏山町所在昭和医科大学附属烏山病院精神科に入院し、精神分裂病と診断されて治療を受けた。

然るに被告は昭和三一年五月頃よし子の弟大倉正夫とともに原告の承諾を得ないで、よし子を退院させて原告方に連れ帰り原告に対し家庭で治療するよう要求したが、よし子の精神状態は何ら回復しておらず、原告に暴行し、或は原告の写真を柱に貼り釘を打込んで原告をのろうが如き言動をなすなど正常な家庭生活を営むことができないため、原告は昭和三二年二月頃よし子を前記烏山病院に再入院させた。

ところが被告は昭和三三年七月上旬頃原告の反対にも拘らず、よし子を大阪に連れ帰つて六ケ月で治癒してみせると称してよし子を退院させ大倉正夫方に連れ帰りながらよし子の処遇に窮し、同年八月中旬頃よし子を原告方に置き去りにしたが、よし子の病状は悪化の一途を辿つていたので原告は同月下旬頃よし子を東京都調布市深大寺町所在欣助会吉祥寺病院に入院させた。

(三)  しかしてよし子は現在重症欠陥分裂病の状況にあり、精神荒廃を呈し、夫婦として精神的共同生活を保持することは不可能であつて、引き続き同病院において治療を受けている。

(四)  その間原告はよし子が近隣の人達と喧嘩口論し、或は暴行を加えるため、居づらくなつてその嘲笑を浴びながら、よし子と子供を伴い

(1) 昭和二六年四月頃調布市天神町旧東洋寮へ、(2) 昭和二七年一二月頃同都北多摩郡狛江町若葉へ、(3) 昭和二八年五月頃同都杉並区滝野川町へ、(4) 同年一〇月頃同区大和へ、(5) 昭和二九年九月頃同都世田谷区島根へ、(6) 昭和三一年九月頃肩書原告住居へと計六回の転居を余儀なくされた。

そして原告は八重子と結婚以来一四年間に世間普通の夫婦生活家庭生活を営んだ期間は僅か数年であり、その間も映画助監督として職務に励みながら幼児の世話と病気の妻に対する献身的看護相次ぐよし子の入院転居などに追われ、現在高血圧性心不全のため入院治療を受けており、もはやよし子に対し妻としての愛情をもつことは不可能であり、その婚姻生活は完全に破綻している。

(五)  よし子は東京家庭裁判所において禁治産の宣告を受け、右審判は昭和三六年一一月二八日確定し、現に被告がその後見監督人に就職している。

(六)  以上のとおり原告の妻よし子は強度の精神病にかゝり回復の見込がないので民法第七七〇条第一項第四号に該当し、又以上の事由は婚姻を継続し難い重大な事由であるから同項第五号に該当する。

従つて原告は被告に対し原告とよし子とを離婚するとの判決を求める。

(七)  なお、原告は現在長男太郎、二男次郎を養育しているが、二児はよし子の精神状態が悪化するにつれ、よし子の言動におびえ、よし子に寄りつかず、現在でもよし子の話をすることすら嫌う状態であるのでよし子の前記の如き状況に照らしても二児の親権者を原告と定めることを求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

請求原因(一)の事実は認める。

同(二)の事実のうち、よし子が昭和三一年二月二〇日昭和医科大学附属烏山病院に入院し、同年五月頃退院し、次いで昭和三二年二月頃同病院に再入院し、昭和三三年七月頃退院し、更に同年八月下旬頃欣助会吉祥寺病院に入院したことは認めその余の事実は否認する。

被告は昭和三一年五月頃大倉正夫とともに、よし子を前記烏山病院から退院させて原告宅に連れ帰つたことはあるが、右は担当医から病気は殆どよくなつているから退院させて家庭において愛情をもつて面倒をみてやる方がよいといわれたためで原告もこれを承知していた。又昭和三三年七月に被告がよし子を退院させたのは、石成警察署刑事立会のもとに原告との話合いの結果、一時退院させて大阪で療養させることにしたためでよし子の大阪での生活は通常人と変らない状態であつたが、よし子が二人の子供と原告のことを心配するので原告承知のうえで原告宅に連れ帰つたものである。

同(三)の事実のうち、よし子が精神分裂病と診断されて治療を受けていることは認め、その余の事実は否認する。

よし子は現在平田病院に入院療養中であるが、表情、姿態、言葉、行動、理解力、表現力など何ら通常人と異るところがなく、病院においても配膳の手伝、入院患者の洗濯物のアイロンかけ、病院内の掃除などに従事し、又昭和三九年三月七日頃から主治医の指示により作業療法として調布市緑町そば屋更科に住込み勝手仕事の手伝をし、週に一度病院に帰り治療を受けている状態にあつて、寛解の日も左程遠くない。従つて家族が心よく引き取るならば何時退院してもよい状態にあり、よし子の精神病は原告主張のように強度で回復の見込がないとはいえない。

同(四)の事実のうち、原告が(1) 、(5) 、(6) 記載のとおり転居したことは認め、その余の転居は知らない、その余の事実は否認する。

原告がよし子と結婚以来よし子の入院した昭和三一年二月まで約六年間しか家庭生活を送れなかつたことは不運であるけれども、これがため両名の婚姻生活が完全に破綻したとはいえない。殊によし子の病状は回復し、家族が温かい気持で接するならば再発を防ぐことができるのであるから、原告が理解と愛情をもつてよし子を迎えるならば両名の婚姻生活を回復することができる。

同(五)の事実は認める。

同(六)の事実は争う。

同(七)の事実のうち、長男太郎及び二男次郎がよし子になついていないとの事実は否認する。かつてよし子は二児を盲愛し、入院中も絶えず子供のことを心配し退院して自宅に帰り子供や夫と一緒に暮すことを切望している。

(被告の抗弁)

仮りによし子が民法第七七〇条第一項第四号にいわゆる強度の精神病にかゝり回復の見込がないとしても、次に述べる事情は同条第二項にいわゆる婚姻の継続を相当とする場合に該当するから原告の本件離婚請求は棄却せらるべきである。すなわち、

(一)  よし子は大正六年一月一四日朝鮮京城府山町三九番地において青果商を営む父正夫、母被告の長女として出生し、幼時から日本舞踊を習い、高山高等女学校を中途退学して上京し、花柳流の名取りとなり、昭和一九年山口県富田市において鈴木某と結婚し、昭和二一年離婚し、日本舞踊の師匠をして生活するうち原告と知り合い原告から懇請されて昭和二五年二月原告と結婚したものである。

(二)  原告は結婚当時から大映の映画助監督をしているが、その収入を家計費に入れないことが多く、生活費の大半はよし子の日本舞踊の教授による収入や、よし子の持物を売却して得た金や、被告の援助で賄つてきた。

そしてよし子は懸命に家計の維持に努め、昭和二六年春頃原告が肺結核にかゝり約一年間病院生活を送つた際は入院費の調達などのため献身的に努力したにも拘らず、その後も原告はよし子に対し冷酷で飲酒のうえ深夜帰宅し、よし子を罵倒することが再三であつた。

(三)  現在までよし子の血族には誰一人精神病にかゝつたものはない。それにも拘らずよし子が精神病にかゝつた原因は原告との結婚後の生活環境に基因するものであつて、よし子は長男太郎の出産が非常な難産であつたため精神的に激しいシヨツクを受けたこと、調布市天神町の旧東洋寮の四帖半の一室に親子三人で居住していたとき、原告が郷里の親戚と称し川原某という若い女性を連れてきて二、三ケ月起居を共にさせよし子に女性として耐えられない嫌悪感をもたせたこと、昭和二八、九年頃原告がよし子の亡父の形身である高価な衣裳を喫茶店に入質して質流れになりよし子を悲嘆させたこと、原告は前記の如く毎晩のように飲酒して深夜帰宅し、よし子に辛く当たり、生活費も満足に渡さないで生活上の苦労をかけたこと、原告は性生活において変態的なところがあつてよし子はこれを極度に嫌悪していたこと、よし子は長男の出産が難産で恐怖心を抱いていたのに再度姙娠しても原告は何ら善処せず、このためよし子は二男次郎を帝王切開によつて出産し異状な精神的剌激を受けたこと、などが積み重なつて、芸道一途に生きてきた純粋で感受性の鋭敏なよし子は昭和三〇年三月二男次郎を出産した後ヒステリーの症状をあらわすようになつたもので、これに対し原告は冷たく叱責するのみで愛情をもつていたわる態度に欠けたために、よし子の精神状態は次第に悪化し、遂には精神分裂病になり入院するに至つたものである。

(四)  しかも原告はよし子の入院中、その看護に努めず見舞に訪れることも少なく、入院費の支払も延滞し、更によし子が一旦退院した際もよし子に辛く当つたため回復した病気が再発して悪化し、再入院を余儀なくされたもので、原告はよし子が第一回の入院をした昭和三一年二月から数年を出ない昭和三三年一〇月頃東京家庭裁判所に対し離婚の調停申立をし、それが不調になると、昭和三五年九月将来のよし子との離婚の訴を自己に有利にする意図をもつて同家庭裁判所に対しよし子の禁治産宣告の申立をするなど、病気の妻に対し一片の愛情もなく一日も早くよし子との煩わしい夫婦関係を解消せんと図つている。

(五)  そしてよし子の近親者の生活状態は、被告は六七歳の老令で何らの収入もなくよし子の弟正夫の家族の一員として生活しており、正夫は石川運送合資会社に勤務し家族四名を抱えよし子の妹弓子は山口県富田市において夫と蓮根田約六反歩を耕作し、三人の子供を養育し、よし子の妹由利子は西宮市において美容院を開業しているが開業後日も浅く、いずれも辛じて生計を維持しておりよし子を扶養し療養させる能力はない然るに原告は東洋撮影所に勤め演出部主任助監督として月収約五、六万円を得ながらよし子の将来の療養生活について一片の考慮を払うことなく、一途によし子が不治の精神病者であるとして本件離婚訴訟を提起したもので、本訴は人倫に反し夫婦関係の本質を無視したもので不当である。

(抗弁に対する原告の答弁)

抗弁(一)の事実のうち、よし子が原告と結婚するまでの経歴は知らない。原告が被告らに懇請してよし子と結婚したことは否認する。

同(二)の事実のうち、原告が東洋の映画助監督であることは認めるが、その余の事実は否認する。

同(三)の事実は否認する。

被告がよし子の精神病は結婚後の生活環境に基因するものとして主張する事実は、いずれも甚だしい事実の誤認又は歪曲によるものであつて事実に反する。

同(四)の事実のうち、原告が被告主張の離婚の調停申立及び禁治産宣告の申立をしたことは認め、その余の事実は否認する。

同(五)の事実のうち、原告がよし子の将来の療養生活について一片の考慮も払わないとの事実は否認する。

よし子は現在精神衛生法にもとづき入院治療し、原告は毎月三、五〇〇円の医療費と一、〇〇〇円の小遺を負担しておりよし子が原告と離婚すれば、被告が収入がないため保護者の負担額は零となつて被告の負担にはならない。今後社会保障制度が益々充実することにより、よし子は入院療養生活を送つていくことができる筈である。なお原告は映画助監督の地位にあるにすぎず、月給も子供の学費などの費用もかさみ生活費に充当してぎりぎりの状態にあり生活上余裕はない。

第三証拠<省略>

理由

(一)  その方式及び趣旨により真正な公文書と認められる甲第一号証、同第四号証及び原告、被告(第一、二回)各本人尋問の結果によれば、原告は東洋株式会社東京撮影所に映画助監督として勤務していた昭和二四年秋頃日本舞踊の教授をしていた池田よし子と知り合い、昭和二五年二月二二日事実上の婚姻をし、同年一二月四日婚姻の届出をし、両名の間に同年一二月二日長男太郎、昭和三〇年三月一七日二男次郎が出生したこと、昭和三六年一一月二八日よし子に対する禁治産宣告確定により、同年一二月一五日よし子の母である被告が後見監督人に就職したことが認められる。

(二)  原告は、原告の妻よし子は強度の精神病にかゝり回復の見込がない旨主張するので判断するに、その方式及び趣旨により真正な公文書と認められる甲第三号証、取寄せに係る東京家庭裁判所昭和三五年(家)第一一、二四二号禁治産宣告事件の鑑定報告書であるから真正に成立したものと認められる甲第五号証、証人安井初子、同菊井実、同池田信一、同石川勉、同池田隆、同工藤俊雄、同佐藤とし江、同松山勝江の各証言及び原告、被告(第一、二回)各本人尋問の結果並びに鑑定人土井正徳の鑑定の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  よし子は原告と円満な家庭生活を送つていたが、昭和二五年一二月二日長男太郎を鉗子分娩によつて出産し、その直後尿毒症とその後遺症として肋膜炎を併発し、約三ケ月の療養生活を送つた。

(2)  よし子は原告と結婚生活を続けるうち、次第に我侭で協調性に缺けるようになり、近隣の人達との交際も円滑にいかなくなり、嫉妬的被害的妄想体験や幻聴体験にもとづくと思われる異常行動が目立つようになつた。

そして昭和三〇年三月二男次郎を帝王切開により出産した頃からその異常性が顕著となつて近隣の主婦に暴力沙汰に及んで警察官が仲裁に入つたこともあり、それ迄にも生活環境を変えるため屡々転居し、又郷里の山口県富田市で転地療養を試みたが思うように回復しないため、原告は昭和三一年二月二〇日頃昭和医科大学附属烏山病院によし子を入院させたところ、同病院において精神分裂病と診断されて治療を受けた。

(3)  然し出来るだけ家庭において療養させたいという被告の希望もあつて、よし子は同年五月下旬頃未だ寛解状態に至らぬまゝ退院したが、近隣の人達との折合いも悪く、屡々紛議をかもしては嘲笑を浴び、又原告に対し突如裁縫鋏で顔面を切りつけるなど暴力を振うことが再三あり、よし子と家庭生活を営むことが困難な状況となつたため、昭和三二年二月頃原告はよし子を前記烏山病院に再入院させた。

(4)  その後昭和三三年七月頃被告が一時よし子を退院させて大阪に連れ帰つたが思わしくなく、結局同年九月二二日よし子を調布市緑町一八番地平田病院に入院させた。

よし子は同病院入院後も被害、嫉妬、関係妄想及び幻聴体験が消退せず精神荒廃状態を呈し、分裂病の盛期におけるきわだつた強度の症状を示し、昭和三六年一〇月一日精神衛生法第二九条の適用により強制収容措置に切り換えられた。その後これらの妄想は消退し、現在では寛解を示しているところもあるが、依然として欠陥分裂病の徴候である知的感情的意志的精神機能に損傷欠如が認められ、いわゆる精神荒廃を呈し、精神医学的に普通の精神状態より著しく劣る状態にあつて、中等度の重症欠陥分裂病に該当する。従つて今後においても社会的、心理的、身体的条件の変動により、精神分裂病のきわだつた症状を再燃激化することが予測されその予後は良好でない。そしてこれまでのよし子の病状、原告との結婚生活の経過に照らし、今後原告が愛情と誠意をもつて最大限によし子との共同生活の保持に努めても、かゝる精神状態にあるよし子がこれに適応して夫婦としての精神的共同生活を保持することは精神医学的に著しく困難であり、又よし子には満八年にわたる精神障害によつて現在満一三才と満九才に成長した子供らに対する母としての訓練を欠如し、その役割を果し得ないおそれがあり、これらの点を考慮することなくよし子を家庭に復帰せしめることは、いたずらに子供らの傷心と混乱を招き、よし子の精神障害の再燃激化をもたらさないとも限らない。

以上の事実が認められる。

もつともよし子の主治医である証人工藤俊雄は、将来、急性増悪期における症状が再発する兆候があらわれたときは直ちに治療を施し、又は再入院させることによつて、現在退院して家庭に復帰することは可能である旨証言し、昭和三八年三月当時までの担当看護婦である証人佐藤とし江は、あまり強い刺激がなければ今後の家庭生活に耐えられる旨証言しているが、右証言は鑑定人土井正徳の鑑定の結果に照らし、現在よし子の病状が精神衛生法第二九条の適用による保護入院を解除できる状態に達しているという点において妥当するものであつても、それが直ちによし子に対する医療の要否、更には具体的な家庭環境における社会復帰の適応性を保証するものとはいゝ難い。かえつて右鑑定の結果によると、よし子の現在の症状に記憶欠損と知能低下の増加、病識欠除の固定化、刺激性、不安全性、内面的緊張昂進の著しいものが存することからして、なおよし子は精神医学的保護監督のもとにおける受動的統制のある療養施設における生活を必要とすること、このようなよし子の精神状態と、病前性格、発病の経過からしてよし子の家庭生活への復帰は著しく困難であることが認められる。そして弁論の全趣旨により成立の認められる乙第八、第九号証の各一、二によれば、よし子は昭和三九年三月七日頃より工藤医師の指示により作業療法として調布市緑町のそば屋更科に住込んで働らきながら治療を継続していることが認められるが、右鑑定の結果に照らし、これが直ちによし子の家庭復帰を可能にするものでないことが明らかである。

そしてほかに前記認定事実を動かすに足りる証拠はない。

(三)  ところで民法第七七〇条第一項第四号が配偶者が強度の精神病にかゝり回復の見込がないときを裁判上の離婚原因とする趣旨は、配偶者が不治の精神病にかゝり、婚姻生活の破綻状態が永続すると認められるときは、相手方が婚姻の解消を望む限り、婚姻の継続を強制すべきでないことにあるから、配偶者の精神病が不治と認定せられ、その程度がその配偶者にもはや夫婦としての精神的共同生活を十分に果し得ない程度に達していると認められるときは、同号に該当するものというべきである。

しかして前記認定事実によれば、よし子は中等度の重症欠陥分裂病の状況にあつて精神荒廃を呈し、その予後は良好でなく、よし子が原告と夫婦としての精神的共同生活を保持することは著しく困難であると認められるから、同号にいわゆる強度の精神病にかゝり回復の見込がないときに該当すると認めるのが相当である。

(四)  被告はよし子が強度の精神病にかゝり回復の見込がないとしても、婚姻の継続を相当とする事情が存するから、原告の本件離婚請求は棄却せらるべきである旨主張するので、これについて判断するに、まずよし子の精神病発病の原因が原告との結婚後の生活環境にあるとの点については、証人松山勝子の証言により成立の認められる乙第五号証の一、二、証人松山勝子の証言及び原告、被告(第一、二回)各本人尋問の結果によれば、よし子は長男太郎を鉗子分娩によつて出産し、その余後に尿毒症や肋膜炎を併発したこと、その頃原告方に原告の遠縁にあたる川原松子という女性が上京し一〇日間位同居したがよし子は同女を嫌つて、次第に原告と川原松子との間に不貞な関係があると邪推するようになつたこと、よし子は二男次郎を帝王切開によつて出産し、その頃から精神異常が顕著となつてきたことが認められるけれども、右以外の原告とよし子との結婚生活の状況殊によし子の発病前後における原告の生活態度やよし子に対する処遇が被告主張のとおりであつたことを認めるに足りる証拠はない。そして右認定の事実をもつて、直ちによし子の発病の原因又は誘因を原告が与えたとはいえないし、ほかに原告の所為がその原因又は誘因となつたものと認めるに足りる証拠はない。

かえつて前掲甲第五号証、証人石川勉、同菊井実の各証言及び原告本人尋問の結果並びに鑑定人土井正徳の鑑定の結果によれば、精神分裂病の原因は、主として内因性すなわち先天性のうち特に遺伝的負因にもとづくことが多いこと、よし子には幼少時より内気、陰気、偏屈、我侭、依怙地などの分裂性格を有し、分裂病発病の先天的負因が存すること、原告はよし子の発病を知つて転地療養や転居による生活環境の改善更に入院治療の措置などにつとめ、そのよし子に対する治病的処遇が不当であつたとはいえないことが認められ、ほかに右認定を動かすに足りる証拠はない。

次によし子の近親者にはよし子を扶養し、療養させる能力はないのに原告がよし子の将来の療養生活について一片の考慮を払うことなく、よし子に対し離婚を求めるのは、人倫に反し夫婦関係の本質を無視したものであつて許されないとの点については、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一号証の一ないし三〇、証人工藤俊雄の証言によれば、よし子は原告との家庭生活の復帰を強く希望していることが認められ、又よし子の近親者の生活状況が被告主張のとおりであるとしても、前記認定の如くよし子の病状や原告の家庭環境からしてよし子が家庭に復帰し原告と二児を加え健全な家庭生活を営むことは著しく困難な状況にあり、又弁論の全趣旨により成立の認められる甲第八号証、同第一〇、第一一号証、証人山田留子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は東洋株式会社東京撮影所に映画助監督として勤務し、月額三六、九六〇円の給与を支給され、長男太郎、二男次郎を扶養しているが、永年の心身の疲労も加わり現在高血圧性心不全のため入院加療中であること、現在よし子は精神衛生法による強制収容措置により医療費は一部公費負担となり、原告は毎月医療費として三、五〇〇円、小遣として一、〇〇〇円を病院に支払つていること、原告にはよし子との離婚に伴い財産分与として出来る限りの負担をする用意があることが認められる。

以上の如き諸般の事情のもとにおいては、これ以上原告によし子との婚姻の継続を強いることは精神病離婚を認める法意を没却するものというべく、又よし子の離婚後についても、社会福祉的措置によつて精神病院に入院して療養看護を継続し、原告の協力も得て適宜な措置をとることが期待できる。従つてその余の離婚原因について判断するまでもなく被告に対し原告とよし子との離婚を求める本訴請求は理由がある。

(五)  なお以上の認定事実に鑑みれば、原告とよし子との間の長男太郎、二男次郎の親権者は原告と定めるのが相当である。

(六)  よつて原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 竹田稔)

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